ぴかぴか

Always believe in yourself.

わたしを許したいわたしの話

  中学三年生のとき、クラスによく泣く子がいたの。授業で盲導犬を題材にしたDVDを見て、しくしく目じりを濡らしていたし、体育祭で総合ビリの結果に、手をぎゅうって握りしめながら大泣きした。かなしいときに、全力でかなしむことを惜しまない人だった。でも、泣くだけじゃあなくって、同じくらいよく笑った。その瞬間、かなしいも楽しいもうれしいも、この世界に転がっているあらゆる感情がぜんぶ、その子のためにあった。出席番号が近くって、グループ分けとか、いっしょになることが多かったから、新学期からちょくちょくしゃべった。仲よかったと思う。でもね、なにを話してもうんうんってにこにこするその子のことを、すこしだけ怖いと思うときがあった。胸のうちへすんなり入ってこられると、心のすみっこの方でおっかなく思っていることをいつ知られるかどきどきしたし、ちょっと苦手だった。それを表すみたいに、その子のとなりにいても、わたしは一回も泣かなかった。

 わたしねえ、そのころ、泣くことが恥ずかしかったんだよね。「かなしい」は感じなければ感じないほどよしとしていて、もしも感じてしまったなら、なかったことにしなきゃいけないと思っていた。自分のかなしみにそのままゴーサインを出すことができないでいた。だから、その子が涙を見せるたびに、なんでそんなみっともないことができるんだろうって、そんなふうに思っていたんだよ。自分がかなしくならないから、人がかなしくなることも知らなかった。

 

 その子はわたしより成績がよくて、志望していた高校もひとつランクが上のところ。模試やテストを受けて結果を見せてもらっては、「それくらい頭がよかったらな〜」とか言っていた。あるとき、その子の結果がよくなかったことがあって、判定も下がったとかでこっそり泣いていた。わたしは、泣いているその子にどう接したらいいのかいつもわからなかったし、そのときも何も言えなかったんだけど。そうしたらしばらくして、その子が、にへらって目を細めながら、わたしと同じところを受けようかなって言ったの。すこしピリついた空気をふうわりさせてくれようとして言ったことだって、今思えばそうなんだけれど、そのときはぜんぜんしっくりこなかった。正直めちゃくちゃムカついた。そっちの高校なら、余裕で合格できるって言われたような気がした。わたしは、なにそれ意味わかんないって、ぜったい来ないでって、不機嫌に言った。ていうかなんでそんなことで泣くんだって。とつぜん怒って、わけがわからなかったと思う。表情を変えたことに気づいたくせに、目をそらしたのはわたしだ。それなのにその子は、「勝手なこと言ってごめん」って頭をさげた。わたしからは何も言わなかった。

 ひどいこと言ったのに、ひとつも怒られなくて、なんだそれって思ったんだよね。すこしくらい、悪しざまに言ってくれなきゃ、ぜんぜんすっきりしない。ばーかでもあほ!でもなんでもよかったのに。自分で怒っておいてそれってどういうことなのって思うけど、勝手に許してくれたって、なんでなんだよって。だって、ずっと自分勝手で意味わかんないことを言ってきたのはわたしのほうだったのに。それくらい頭がよかったらなって、その子が時間をかけて勉強してきたことをなかったことみたいにして、勝手にうらやましく思って、なんなんだ。それまで何回でもかなしませてきたのに、わたし、ちゃんと謝れてもいなかった。わたしをかなしくさせたその子にムカついたし、勝手にムカついている自分にはもっともっと、心底ムカついた。こんなうまく言えない感情なら、わたしのものじゃなくなればいいと思った。

 それからもその子はにこにこしつづけてくれたし、わたしはやっぱり、自分がかなしくなることから逃げまわった。楽しいことだけなら、たくさんたくさん楽しめたから。けっきょく、高校はどちらももともと志望していたところへ進学した。

 

 今、とっくに高校も卒業したんだけどね。ここ一年くらいでいろんなことを許せるようになった、と思う。意識的に変えようと思ったわけじゃあなくって、なんとなく、じわじわ。なにかポイントがあったかな〜って考えたら、気持ちの済むところまでかなしくなって泣いた日のことを思い出すんだけど。だいたいなにがあっても、まあまあ、そんなこともあるよなあっていったん落ちつけるようになった。そんなことがあってうれしいと思えたら、うれしいし、かなしくなったなら、あなたのおかげで知れた感情だから、それもうれしい。知ることができてよかった。わたしがかなしくなることを、わたしが許してあげる。そうやって、とことんかなしくなって、あのとき泣いたのは正解だったよって、あとから花丸をあげる。自分に甘いでしょ(笑)

 そうして、ずっとずっと、許されてきたんだっていうことをやっとわかったんだよね。うれしいとかかなしいとか、自分がいろんな感情を持つことを中学生のその子は受け入れていて、だから、他人のわたしが感じたことにまで、わかるよわかるよって、そういう気持ちになることあるよねって、手を添えてくれた。かなしいを最大限に知っていたから、わたしのかなしみにも気づいてくれていた。もうずいぶん時間がたつのに、気づくの遅すぎ(笑)泣けるのは、自分を許せるからなんだねえ。あのころ、とうてい届きっこなかったその子に、今やっと近づけた気がするんだよ。

 このあいだ誕生日だったから、お祝いをしに行ってきた。毎年、冬をお見送りしたらすぐに誕生日がくるの、らしい歳の重ね方だよな〜と思う。あいも変わらずに、ゆるゆる〜した会話しかしなくて、でもそれが楽しい。つぎの約束とかしていないけれど、いつかまた、どうしようもなくかなしくなるときがあるなら、今のわたしは、あなたの涙に花丸をあげられるだろうなって思います。ありがとう。またね。